なんかさー

2003年2月10日
最近どうもマンネリ化してきてる気がする。なんていうかピアノに対する姿勢が。とりあえず弾けてりゃいいやって感じになってきてる。だめだなあ、自分。なんかこれ以上掘り下げてやる必要あるのかなあって、いやそりゃ自分の演奏は完璧なんてことはないんだから、やらなきゃいけないことなんてたくさんありすぎるはずだ。なのに、いまいち気が緩んでしまっている。なんていうか、3田祭の場合あんなに気合入ってたのは、やっぱ今までの失態(たとえば新歓で弾かされたこととか)の名誉回復!みたいなとこがあったと思うんだよねえ。だからこういう風に日記をあのころ書き出したんだと思うし。

こういうふうになると自分にとってのピアノとの関係って何なんだろうって再確認したくなる。

何だろう?今こういう風にがんばってるのは確かに過去ピアノをサボっていたという反省もあるだろう。あと、自分に期待してくれている人たちの期待に応えたいと思ったところもあった。あと、他の人がとてもいい演奏してたのを聞いて自分も超えたいと思ったある意味“競争心”が芽生えたのは否定できない。そういう風に考えてみると、ひとつ思ったことは絶対自分には義務感があってピアノをやってるなあってところがあるってこと。そんなんでやってる自分に果たして本当の意味での音楽をやるなんてことをできる資格はあるのかなって思ってきた。

そこで思った。今自分から、ピアノも音楽も全てなしにしていったらどうなるんだろうってコト。…やっぱ想像つかないなあってことは絶対自分は音楽がこのごろ本当に好きなんだなってこと。とりあえず旅行に行くにしてもまあ旅行は楽しいけど、ピアノがないところだったらどうしようとか考えちゃうし。ってことはやっぱり切っても切り離せない関係にまでなってきてるのかもしれない。

この前っていっても結構前のような気がするけど、ピアノの先生が最近の私の演奏は本当にピアノがすきって言う演奏になってきた、前はやっぱりなんていうか、義務感で弾いているようなところがあった、って言われた。ということは、やっぱり先生も指摘してくれるように本当に好きになってきていて今やってるんだなあって思った。

自分がまだ義務感で弾いてたようなころの発表会の自分の演奏を聞いてみた。それでそのあとに入ってたトラックに私の先生じゃないけど、講師演奏が入ってた。私のしょぼい演奏の後にその先生の愛の夢を聞いてみると、何か違うものは伝わったきた。この感覚はなんなんだろうと思い、感動して聞き惚れてしまった。この感覚に痺れた。この伝わってくるものはすごいと思った。自分も何かこの人の弾いているような“意味”のあることをしてみたい。そう思った。なんか上手く言葉で言い表せないけど…

そう思ったらなんとなくまた方向性が見えてきた。自分が何したいのかわかってきたような気がする。やっぱピアノってやめられないと思う。たぶんどんなに年取っても弾いてるような気がする。自分にとって音楽とはそういうものだ、とまたなんとなくわかって来た。http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=NOAH110

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